熊谷隼人 (Hayato Kumagai)
Voice
515×728mm
クレヨン、アクリルガッシュ、木製パネル
2025
以下 Instagram より引用
この絵は当初、2017年に制作した"Inuuniq"という絵に遡るようなつもりで、近しい手法のもと新たな絵を描くつもりでいた。
黒いクレヨンを下地に塗り黒の絵具を重ねてから、針などの鋭い道具で引っ掻いて無数の模様を描く。はじめは以前のそれと同じような、線刻画が生まれつつあった。それは生きものたちがおたがいを食べあうようなグロテスクさを表す一方、生命の本来的な様相を描こうとするものでもあった。
けれど一度描いたものを途中で全て消した。いまの感覚に即して描くならばこういうことではないのだろう、と思った。
黒のクレヨンを全て削ってから、白い絵具で塗り潰し、そしてもう一度黒いクレヨンで塗り潰していく。
その時にある文章(ガザのことが書かれていた)を読んでから絵を見返すと、黒く塗り潰す過程で見えた像のようなものが、何者かのさけび、のたうつ姿と重なった。それは人間であり、人間ではなかった(そして人間ではなく、人間だった)。このことを忘れてはならない、と感じた。
その後、釘などで絵を無数に引っ掻いた。何度も何度もやるうちに鉄が指に食い込み、血がにじんでいく。夜に夕食を食べたときにレモンの果汁が傷口に染み込み、鋭い痛みが迸る。針が刺さるのともまた違った鋭い痛み。けれどこのことも忘れてはならないように感じられた。
やがて傷で埋め尽くされた画面は、むしろ静寂なようにも映った。銀河のようにも、土くれの微細な輝きのようにも見えた。
人間の痛みと声だけが特別なわけなどなく、無数の存在の痛みと声の重なったところにこの地上があることを、あまりにも自分は忘れてしまっている。
"罪ほろぼし"というものを人間以外のあらゆる生命へのそれとして考えるならば、いま生きる全人類を粉々にしてもおよそ足りないだろう。
痛みは時にまるでかぎりない無音のようにも見える。
馬のまなざしのように澄み切っている。
見ているこちらの目が燃えるほどに。
だから声を聴くことをやめないように、と思う。
声を聴くことをやめないこと。
生きている限り血は体内を流れ、死ぬまで音は鳴り止まない。そして自分も声を発するものであるということ。
自分が見、聴く声を反響させること。それを鮮明にすること。描くことで光を反射させるように。
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